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Log9

2004/11/05(金)
貫徹
さっき書いた日記、間違って消しちゃった。
頑張って書いてたら朝になってて
送信じゃなくて、リセットボタン押しちゃうし
書き直す元気ないし。。

ふにゃん。

ねる。 (←これ書いたの今朝8時頃。

〜〜〜〜
って、書いてから10時間後の今。

寝てられなかった。
起きとおしています。
だって、寝ようとすると荷物だ電話だなんだかんだ。
そのうえ午前中に、過去のWEBパーツ修正なんて飛びこんできて…
Illustrator&Photoshopでずっと目に痛いお仕事。
午後は、
各種メール便の準備で、クロネコさんが来るまでに
納品書やら請求書でエクセルと格闘…
気がつけば、
外はすっかり暗くなってるし。
お腹空いたけど、今食べたらしむ。
お風呂入りたいけど、今入ったら溺れる。

24時間以上ほとんどPCの前。
えーん。
目が痛いよぉー。。(;>_<;)
肩がバリバリだよぉー。
なんで誕生日前にこんな悲惨なめに…?
ますます老体になるってゆーのに。
ううう。


2004/11/02(火)
明け方の空、金星がひときわ明るく輝いていました。
そしてそのすぐ下には木星が…。

この両星はナント!現在接近中だそうです。
最接近は、5日の昼間(午前中)ということだけど
5日の明け方に見ても充分近づいていると思う。

昨夜は月明かりもきれいでした。
気温が少し上がっていたせいなのかな
潤んだ空気の匂ひ...
まるで
水のレンズ越し
みたいな
星空と
月と
雲が
切なかった。
そして
明け方の星。

今年はじめて
秋を
感じる夜
でした。


靄の夜ひそかな声のちろろ鳴く


2004/10/31(日)
先日、熊本から乗った飛行機の手荷物検査で
私のバッグがひっかかり、再三警報がなった。
「バッグの中をお調べしても構いませんか?」と警備員さん。
「化粧ポーチの中にカミソリ等はありませんか?」
そう言われて、思い出した。
確かに入ってます。入れてます。
警備員の前でカミソリを取り出して、再度バッグの検査。
すると今度は無事通過しました。
「カミソリは、機内に持ち込めませんので、お見送りの方に渡されるか、ここにお客様ご自身で入れて下さい。」と、言われ
目の前に回収ボックスがあることに初めて気がついた。
透明のプラスチック箱の中に、先客のライターやらカッター等がたくさん入ってる。
それにしても
羽田から乗った時と同じ中身なのになぁ。。。
羽田では何事も無く乗れた。
って、変じゃない?

私が搭乗した
地方から羽田へ向かう飛行機のチェックが普通とすれば、
(実際、カミソリ持ってたんだし・・・)
羽田から地方へ向かう便では、チェックが甘かったってことよね。
羽田空港だからこそ最先端の安全チェックをしていると思いこんでいた私だけど、これも擦り込み、思い込みに過ぎなかったらしい。
空港ロビーでは何人もの警備員が不必要にウロウロしてて物々しい雰囲気を醸し出している。
なーんだ。あれって見せかけだけだったんだぁ。。と、思った。
旅客機の第一条件は、まず乗客の安全のはず。
その為の安全チェックレベルが、空港によって違うなんておかしい。
首都圏上空でなければ、何が起きてもいいって風にもとれる。


飛行機関連で、とーとつに思い出した。

私が羽田から乗ったANAのスッチーさん。
子供の頃からスッチ−好きな私が、初めてスッチ−嫌いになりかけたとゆーお話し。

出発ロビーの搭乗案内に従って、早々に座席に着いた時、
私は携帯電話の電源を切ってなかった事に気がつきました。
それで、携帯を取りだし操作しようとした途端、
一旦横を通りすぎたスッチ−が慌てて戻ってきて、
「お客様!携帯の電源はロビーでお切りになっておいて頂かないと困ります!」と、びっくりする程高圧的におっしゃった。
だけど
電源切ってなかったのは私だし、
−−はい。ごめんなさい。だから、今切ろうとしてたんですけどね。
と、素直に謝ったんですけどね。。

「ですから!乗る前に切っておいて下さい!」
−−だからぁ…。今、気づいたからこうして切ったんですけど。。
「乗る前に切って頂くのがお客様のマナーです!」
−−(ぷちっ...)では、今からも一回ロビーに戻って切ってくれば宜しいのかしら?

なーんて、女二人がばかばかしい目くじらたててる時に機内アナウンスが流れた。

『安全な飛行の為に、お客様の携帯電話を今一度、ご確認下さい。電源の切り忘れ、マナーモード等になっている場合は、ご確認の上、電源をお切り下さい。ご協力お願いします。』

その途端に、他の乗客が一斉にゴソゴソ携帯電話を取り出して電源きったり、電源切る前に写真撮ったり…。ぷぷ。

私が黙って新聞に目を落としたら彼女も黙って行ってしまいました。
どう考えてもあれは、私の憧れのスッチ−様の態度ではなかった。
久々に乗ったANA機でしたが、機内での気分は最悪だった。
それにしても、なんであんなに食ってかかられたんだろ。
と、我が身を振りかえるけど・・・わかんない。
あれは、彼女の正義感?
でも乗客にマナー云々を講釈するって、よほどよね。
きっと
私が
美しすぎたから…。(ここ笑うところ。

その後、熊本空港に着いて
着陸寸前に見えた滑走路の植物がとても綺麗で、
到着ロビーのお姉さんに、「あれ、なんていう植物か教えて頂けますか?」と聞くと
結果的には、名前がわからなかったものの
そのお姉さんが、とても一生懸命調べてくれている姿に感激。
熊本空港職員の、ミツイさんという女性でした。
このミツイさんの笑顔に、機内での嫌な気分が一掃されたのでした。



2004/10/30(土)
阪神淡路大震災を経験した知人とのメールのやりとりの中の一文に
「被害の大きい危険な地域には報道関係者も来ません。
被害の大きさと地域認知度はけしてイコールではないのです。」
と、書いてあり様々な事を考えさせられました。

被災者の方々にとって辛いのはこれからなのだと思います。
きっと最初の本震よりも、揺れ続ける余震への怯えと寒さが
何よりも大きなストレスとなり消耗してゆくのではないでしょうか。

我が家には今、TVがありません。
ですから、先達ての人質事件の時みたいに
TV画面に釘漬けになってしまうというストレスからは逃れられていますが、
結局、ネットニュースも新聞も似たようなものです。

今回の震災に限らず、これまでの台風被害や水害その他の事件、事故に対しても
マスコミ報道が、伝えるべき事実と実際必要とされている事柄を無視して
被災地を見世物と化しているような気がしてなりません。
過熱しているマスコミの情報だけを過信していれば、
情報が多い=大変だ!
情報が少なくなった=落ちついた。と、
つい思ってしまうのが、当たり前といえば当たり前なんだけど
その当たり前は、
横並びの価値観による横並びの報道になっているため、
あたかも客観的なように見えているモノとして、単に擦り込まれたに過ぎないよ。

それによって、世間の感心度と、実際の被災者の方達のストレス増幅は反比例していくんだと思う。


2004/10/29(金)
【萬晩報】http://www.yorozubp.com/
コラムを掲載されている中澤英雄氏から頂いたメールを転載します。

***********************************************ここから

知人経由で新潟の被災地から送られてきたメールをBCCで転送させていただきます。(転送自由)
-------------------------------------------------------

どうか助けて下さい。小千谷市役所、小学校での救援物資の配給や、炊き出しなどを手伝っていますが、現場はまだまだ混乱しているし、人出も足りていません。

そんな状況下で、マスコミの取材陣が50人近く現場付近を陣取っています。小千谷市役所の正面に車を止めている為に、救援物資を運ぶトラックは遠くに止めることしか出来ず、ボランティアの人達がせっせと現場に物資を運んでいますが、報道陣はそれを手伝う気配すらありません。心労と肉体的疲労が積もっている被災者の方々に当然のようにマイクを向け、24時間カメラをまわし続ける神経もさっぱり理解できません。

現地では今、「大人用の紙おむつ」が不足しています。「赤ちゃん用おの紙おむつ」は足りています。あとは、トイレが使えなかったり、下着を替えられなかったりするので「パンティ ライナー」があると重宝しますが、こちらではもう品切れで手に入りません。P&G 、花王、ネピアなどの紙おむつメーカーに電話をして、現状を伝えてください。

夜の寒さが厳しいです。お年寄りは使い捨てカイロをもむことすらできないので「貼るカイロ」が必要です。マスコミの仕事は、こういった情報を伝えることだと思うのですが‥。

今日はこのあと、小千谷小学校に小泉首相が来るということで、マスコミ報道人の数はさらにふくれあがり、「毛布の配給が出来ないので、小泉さんが返るまで待つように‥」という連絡が入りました。一体何の為の視察なんでしょう? 午前中にも数名の政治家さんが小学校に来ましたが、トイレはどこかとたずねられ、仮設トイレを案内したところ「私に仮設トイレを案内するつもりかね?」と、言われたそうです。いったいこの国は、どうなっているんでしょう?

現地では、大人用の紙おむつと、パンティライナー、貼るタイプのカイロを必要としています。これらの商品を販売している企業の「お客様相談室」宛てにメールを送ったり、電話をかけたりして、「小千谷市の被災者が求めているもの情報」を、伝えてください。あなたのblogやHPの中で、ただ伝えるだけでかまいません。皆さんの声が企業や行政を動かします。マスコミは頼りになりません。マスコミに対しては、どうか支援活動の妨げとなり 被災者の心労を倍増させる今の取材のやり方についての抗議の声をあげてください。
あまりにひどい状況です。

小千谷市にも、続々と個人の方からの救援物資が届いています。有り難うございます。しかし、それを種類別に分けて、配布する人出がありませんので、以下の点に注意して送っていただけると大変助かります。段ボールには、外側に「毛布」「洋服」「下着」など、中身を大きく書いて貰えると助かります。靴下1足、下着1枚でも有り難いのですが、もし出来ればご近所の方と声を掛け合って、ある程度まとまった数があると、とても助かります。送り先の住所はこちらです。

〒947-8501 新潟県小千谷市城内2-7-5 小千谷市役所あて

お手数をお掛けしますが、宜しくお願い致します。

***********************************************ここまで

新潟県地震災害対策本部 http://saigai.pref.niigata.jp/content/jishin/jishin_1.html

被災市町村等の緊急ホームページが開設
(長岡市ボランティアセンター、山古志村、越路町)
http://saigai.pref.niigata.jp/content/jishin/shityouson_kinkyuhp.html


2004/10/28(木)
満月。

綺麗です。。
日本からは見えないけれど
今日は月食。


昼間、大家さんから
「ウチの新米ができたから」とお裾分け頂きました。
なんだかとっても嬉しくて、今日は床の間に上げております。
明日、早速頂きまーす。^^


2004/10/27(水)
きょうは一日中、家の冬支度で仕事そっちのけ。
夕方、Sちゃんが預かり物を受け取りに来た。
ストーブを点けて、ホットカーペットの上でお茶を飲んでたら
まったり。。。
そういえば、私きょうはおにぎり一個しか食べてなかった。
虫刺されのせいか、なんとなく体調がすぐれず
Sちゃんも似たようなかんじというので
ご飯を食べにいくことにした。
初めて入った近所の焼肉チェーン店、
焼肉屋さんなんて、ほとんど行ったことないし
何を頼んでいいのかわからず迷いに迷って
セット物と、レバー、石焼ビビンバ、サムゲタンを注文。
サムゲタンは、鶏肉が骨まで柔らかく食べられてびっくり。
味が少し濃かったけれど割合に美味で、
食べている途中から身体がポカポカあったかくなってきた。
なんだか、ぽわ〜んと気持ち良い。。
Sちゃんも私もふたりして、ぽわわ〜ん。
「元気になれそう!」
うん。
たしかにそんな感じ。
薬膳効果。

ポカポカしたまま外に出ると
風が冷たくて
空には
満月に近い月が浮かんでた。
体が冷えないうちに帰って寝よう!って意見一致。(笑)

今夜は冷えてます。
皆さんもあったかくしてお休みください。


2004/10/26(火)
仕事の打ち合わせ中、
気がつくと首筋をポリポリ掻いてる私。
腫れが見えないようにハイネックを着てるんだけど
それがかえって皮膚と擦れて痒さ増大。
温かさも手伝って悪循環。。。
うー。
がまんがまん。
痒い所を掻けないのって、
拷問になるよね。。
うっく。

---------------------------------------------------

私の離婚問題を心配してくれて、
私や元夫、共通の友人と話しをしてくれた人から
連日 メールを頂きました。
そこには、その人の
私達の離婚に対して思ったことや
私への気持ち、元夫への気持ちが綴られていて
私の返事が欲しいとも書いてありました。
こうして他者の私を心配してくれること、
ご自身の意見を伝えてくれることも
本当にとてもありがたいことだと思うのです。
でも
今の私にとって、
もうすでに離婚は過去の出来事。
私は、これからの自分と息子の事しか頭にありません。
そんな現在の 私個人へのご意見ならともかく
過去の元夫婦の関係性に対して その人の思いを綴られるのは
傷口に塩を擦り込まれるようなものでしかなく…
正直言って、辛いです。
今は消耗するやりとりをしたくなくて
お返事を書けないまま無視をしている状態が続いています。
そしてそんな自分の冷淡さをも無視しています。

いまは、
どうしてもしなければならないこと、
私自身のプライオリティを 確実に
ひとつずつクリアしてゆきたいと思ふ。


2004/10/25(月)
昨日の夕方
AK君の農場へ先週分の豚肉を買いに行って
そのすぐ下にあるSちゃんの畑へ寄ってみると、
草刈をしているSちゃんがいた。
しばらくそこで立ち話をしていたら
蚊の大群に襲われてしまった。。
その時は、赤い点が出来た程度で大してかゆくもなかったけど
夜、お布団に入ってからムズムズかゆい。。。
がまんして寝ていたけれど、あまりのかゆさに起きて
電気をつけてみると、赤い点だったものが
まるでツベルクリン検査の陽性反応みたいに、
どれもこれも、ぼわんと直径3cm以上に赤くなってる。
蕁麻疹みたいな丘疹にはなってないけど、各箇所が固く腫れてる。
その数があまりにも多いので数えてみると全身40箇所以上…。
そのかゆみが一気に起きて悪寒がしてきた。

以前もブヨに刺されて化膿したことがある。
その時に効いた薬を買いに行くと、薬剤師さんから「皮膚科に行った方が良いですよ」と言われてしまった。
ブヨの時も同じだったけど、
皮膚科で処方される「かゆみ止め」の飲み薬は、
眠気が酷くなるうえに胃がボロボロになるんで、もう嫌なの。
掻くのを我慢して、しばらく様子をみてみよう。。

こんな時は人前に出たくない。
でも
こんな時に限ってお仕事がある。
首筋だけで数箇所の腫れ。
顔にも2箇所。。

ひーん。。・°°・(>_<)・°°・。


2004/10/24(日)
無事に帰宅しました。

熊本到着の翌日は台風。
昼間の数時間、暴風雨に見舞われたけど
速度が速かったおかげで夕方には普通の曇り空。
それでも、被害の大きかった地域もあり…
今年の天変地異には人間の抗えない領域をまざまざと見せつけられてる。。

さて、
5年ぶりの実家。

両親に、改めて離婚の報告と
その為に心労をかけてしまったことを謝ると
「お前が二十年頑張ってきたんだから、もう言う事はない。」
「元気な顔を見れて安心した。」と
父に言われ、顔を見て話す事の大切さをつくづく思い知らされた。
その後はチクチクと
嫌味の一個や二個、十個、二十個と言われたけれど(^_^;)
きっと言いたいことはそれ以上あったはず…
そう思うと不思議と腹もたたなかった。
たてる立場じゃないけど。。

母は相変わらずさっぱりとした人で…
私が選んだ道の先には
明るい未来しかない!と言ってくれた。
そして、
これまで二十年誰にも言わなかったと前置きして
「一つだけ、あちらの家に対してどうしても許せなかったことがある」と
二人だけの時に話してくれた。
二十年前、
熊本での結婚式を終え、新婚旅行から小林の家に戻った私達夫婦は、翌日には神奈川へ発つ事になっていた。
それで旅行から戻った日に、両家の身内揃っての宴席が用意されていた。
そろそろ御開という頃になって、
小林の母が私に「ゆみさん、お茶!」と言ったらしい。
母はその言葉が今でも信じられないし、ましてや娘に言われたのは許せないと言う。
「あれが当たり前の感覚だと思うとゾッとしたわ」と母。
そんな思いを抑えてずっと見守ってくれていたんだ。。
なのに当時の私は何も感じていなかった。
「感じたんなら二十年も持っとらんたい!」と豪快に笑われた。。
たしかに・・・。(;^_^A

翌日は、兄の事務所へ。
メールでは事後報告していたけれど詳しく話すのは今回が初めて。
「俺が1年前にお前に『皆元気か?』って聞いたの覚えてるか?」
覚えてない。。
今思えば、もともと兄はそんな事聞く人じゃないし。。
あれ?なんでそんな事聞いたの?
と、今頃聞いてみた。
すると、元夫がプレゼントした彫刻の石の台座が
ある日突然割れたんだそーな。
普段なら「あ、割れた。」で済む人なんだけど
その時ばかりは「何だ?」と思ってしまったそーです。
当時は「なんもないよー」と、ごまかしてた私。
だって、ぐちゃぐちゃの渦中だったから…(笑)

その話しの最中、事務所に来客。
そして入ってきた仕事を私に任せると振られた。
クライアントには「彼女は共同で仕事をしている相手」と紹介。
私が仕事上で最も尊敬している"師匠"が
「共同で仕事…」と言ってくれたこと、妹と言わなかったこと、
これが
兄からのエール。
最も厳しいエール。
感謝。


4泊5日の故郷でした。
書ききれない出来事がまだまだたくさん。
また少しずつ書いていきます。
父との会話、
母との会話、
兄との会話それぞれに、
自分の責任や痛みを引き受けることの大切さを
あらためて教えられた気がしています。

背中を押された気分です。

帰ってよかった。
うん。


2004/10/18(月)
明日から熊本へ。。
早起きしなくっちゃ。
でも
まだ準備してない。
お掃除もしてない。
起きれるのかしらん?
そっか。
寝なきゃいいんだ。
でも
5年ぶりの飛行機。。
寝て過ごすのか。
起きてても仕方ないけど。
台風に向かって飛ぶのよ。
台風と目があったりして。。
って、
子供じゃ
ないんだから。。

食べてくるものリスト。
馬刺し、
紅蘭亭の太平燕、
赤のれんのラーメン、
三笠のうどん、
蜂楽饅頭(白餡)、
って、
何しに行くんだか。。


2004/10/17(日)
快晴!!!
暑いくらいのお天気。
夕焼けも昨日に続いて綺麗でしたねー。

夜はさすがに冷え込んでおります。
しんしんと寒いです。
この家だけでしょうか。。。
そろそろ、防寒対策しなくては…。
ストーブ、絨毯、カーテン、すきま埋め。
障子の張り替えもしなくちゃ。

でも、寒くなってくると
夜空が綺麗。
昨夜…否、夜明け前の空が綺麗でした。
漆黒に近い群青の中、
星達が白よりも白く煌煌としてた。
この空の下にいるだけで
まるで
世界の中心にいるみたいな感じがして
自然と笑顔になっちゃいました。ぷぷ。

さて、
熊本行きの準備しなくっちゃ。


2004/10/16(土)
昨日は、快晴の中を箱根までドライブ。
箱根・彫刻の森美術館で
書道家の武田君が、日本の伝統的職人によるイベント「技道展 」のアートプロデュースを務めています。
コーディネーターは、こぶた畑AK君のお父様Yさんで、この日の
「環の暮らしトークセッション」には、Aさん登場。
とゆーわけで、知人が多いイベントだったので、片道一時間もかからないし…ひやかし気分で箱根まで。

Aさんや他のアーティストの作品と共に、元夫の作品もありました。
でも共通知人の誰もが、私達の離婚のことをご存知なく、
私はまだ「小林さんの奥さん」と認識されていて
その為に、トークセッション後の座談会席上でも
司会のY氏から「参加アーティストの妻」と一瞬紹介されてしまった。
事情をご存知のAさんが絶妙なフォローしてくれて大助かり。
イベント終了後に改めて、私達を知る方に離婚の事をお話ししました。
皆さんは、この数日前
元夫の搬入に立ち会われたにも関わらず、
何も聞いていなかったと、一様に驚かれました。。
「こうやって、一人一人に伝えるのはエネルギーを消耗しますよ。」と、つまらない話しを聞かせてしまった筈の私に、皆さんからはエールと元気を分けて頂きました。
本当にありがとうございました。

技道展サイト⇒ http://www.smp.jp/

武田双雲サイト⇒ http://www.fudemojiya.com/futaba-mori/souun.htm


帰宅途中、
Sちゃんから、明日行なわれる障害者施設のお祭りに
神丹穂を出店したいと携帯にメール。
「ウチで加工すれば?手伝うよ」と返事すると
すぐに「そう思いまして。。かたじけなーい」と返ってきた。。
だと思った。(笑)
作業を始めたのが夜9時、終了したのが朝5時半。。
途中、眠気に襲われながら幻覚と闘うSちゃん。
「寝るなーーー!寝たら死ぬよーーーー!」と、脅して
「段取り八分、整理整頓が効率アップの鍵です」と、お局ゆみ様。
これも愛。たぶん愛。きっと愛。(古;

夜食を食べたあとは休憩無しに歌いながら笑いながら眠りながら、真面目に作業。
ってゆーか、壊れかかってた二人。(^_^;
でも、
その甲斐あって、素敵な神丹穂の束が出来あがりました!
大、小それぞれ21束づつ。
つい、きゃああーーーーーーーーーーっと歓喜の叫びで
ひし!!!と抱き合うわたしたち。

でした。
昨年は、この作業を一人でなさってた団長さま。
すごいねー。大変だったろうねー。と、
わたしたち二人は、しきりに感心しながらも
どんどん美しく出来あがっていく神丹穂の加工が
愉しくて嬉しくて仕方なかったのです。
また、やりたいねー!いつにする?と、おしゃべりは続く。。

本日は、お祭りでの売り子さん。
でもほとんど、もうろうとした意識の中で
遊びまわってるふたりなのでありました。。。
わはは。


2004/10/14(木) 2
快晴
明け方、東の空がピンク色に染まっていました。
とても深くてあざやかなピンク色。きれいでした。

今日は一日お仕事。
来週、私が留守にすると連絡した途端に
「その前にPCを見てもらえますか?」と、メンテナンスの注文でした。
たまには留守してみるのもいいか。。。と不謹慎発言。(^^ゞ
午前中から2件のお客様宅と役所を回って帰宅したのが夜8時。
9時から予約の3件目のお宅は体調を崩されてキャンセルに。。
帰宅すると、
ホスティングサービスの会社に提出していた
パートナー契約の申請が受理されたと、契約書が送られてきてた。
一安心。。ほ。
なので明日は、税務署にも行かなくっちや。

風邪が流行りはじめてます。
皆様、気をつけてくださいね。


2004/10/14(木) 1
ひとりごと
役所で手続きしなければならない書類を持って元の家に行く。
息子と元夫の自筆のサインが必要だったけど
息子はアルバイトで留守だったため
元夫に、記入場所を教えて帰ろうとすると
息子の進学先へ納める入学金の金策で大変だったと聞かされる。
そして、
私に返す予定だった分も全部そっちへ回して、すっからかんになったと言う。
「何が言いたいの?」
そう聞いても、何も返事がない。
「約束の日に返せないってこと?」
と言うと
――当然だろ。
と、
彼は、しゃがみこんでうなだれてしまった。
「また約束を破るの?」
――すっからかんになったんだよ!仕方ないだろ?そんなに責めるんなら今月中に返すよ!

「私が言いたいのは、お金を返せないことじゃなくて、何故その時点で私に連絡してこないのか?って事です。
離婚前々日にあれだけ、いつ返す!必ず返す!と見得を切ったのはアナタだよ。
それなのに、なによりも先に愚痴と言い訳を並べたてておいて
自分からは「期限を延ばしたい」と一言も言い出さない。
それも今日、私がこうして来なかったらどうするつもりだったの?
相変わらず、同じパターンの繰り返しだね。
私の不信感は膨らんでいくばっかりだよ。
私達は離婚したの。
もう他人なんです。
それなのに、まだ私に甘えるつもり?
私が今、言ってること
お金の問題じゃないって事がまだわからない?
アナタが金策で苦労した話なんて、もう私には関係ない話なのよ。
それは自分の息子の為に、その息子と約束したことじゃないの。
口が裂けても泣き言なんて言って欲しくなかったわよ。
わたしは、アナタが約束を守れるか守れないか、
守れない約束は、しないでくれって何度も頼んだよ。
どうしても守れないなら、そう判断できた時点で私に連絡をするべきじゃなかったの?
私は、せめて別れた今こそ、アナタにきちんと筋を通して欲しいだけです。」

彼は、うなだれたまま何も言わなかった。

この姿を 内情を知らない人が見たら
可哀相で慰めたくなるんだろうな…と、思った。
昔の私がそうだったみたいに。。
私に「お前は金の亡者か?」と言う彼の言葉が風に乗れば、私はまた極悪非道な元女房ってコトになるんだろうな。
冗談じゃない。
人が何を言っていて
人が何を伝えようとしているか
同じ日本人でも伝わらないことがある。

結局、私の望んできたことが何も伝わってなかったと
いつもこんなシーンで思い知らされる。
そう、
伝わってれば離婚することもなかった。


2004/10/13(水)
私と元夫の共通の知人と話す機会があり、
私の近況と、今の気持ちを直接話した。
「あなたもO型だからねー、私と似てるわ。」
と、訳わかんない納得をされてしまった。。
血液型で括られてもなぁ。。。(^^ゞ
まぁ知人にはそれより他に話したいことがあったらしく
あまり内容の見えないままの話しが延々と続く。。
あう。。
やっぱりダメだ。
井戸端話は上の空で聞いてしまふ。
たぶん、顔に出てたかもしれない。。
笑顔がこわばったままだ。。
ま、いっか。。

そんな疲れも吹き飛ばすように、
今日はSちゃんとドライブ&お買い物。
笑い転げて過ごした一日。

うーーーーん!
明日は晴れますように!!!


2004/10/12(火)
本作り
10・11日の両日は、我が家にてワイワイ本作り。
指導して下さったのは、
私が横浜美術館市民のアトリエ講座でお世話になった
装丁家・小井戸幸子先生です。
参加してくれたのは、田んぼ団の団員ちゃまたち。
一日目は、Sちゃん&し〜ちゃん、二日目は、TTちゃん&私。
私は、講座で作った本を入れるケース製作。
他の3人は、ソフトカバーの本を製作。

一日目、作業も終わりに近づいた頃
「田んぼ団長」⇒「たこ焼職人」に変身したAさん登場!(ぱふぱふー
タコの無い、タコ焼き器で、次々に焼かれる 闇タコ焼き。
皆、中身がわからずに、おそるおそる口に入れると
ホタテ、いくら、しじみや里芋の煮物なんて意外なものが
お口の中で「ふっふっふ」と登場して、びつくり。
締めくくりには、パンケーキみたいに卵たっぷりの皮から
チョコレートが出てきて…いやん!おいひい〜。
私は例のブツ・・・ギョーザ担当。
おかげさまで冷凍庫にあったギョーザを全て消化致しました。^^;

実は、この一日目の午前中は
田んぼの稲架の稲が、前日の台風の被害ですべて倒れてしまい
それを直すための作業があったのです。
参加してくれたSちゃん&し〜ちゃんは、もちろん田んぼにも行ってて
とっても疲れていたはずなのです。。
そんな忙しい中で、Aさんは製本作業の為に作業台を届けて下さいました。
感謝感謝です。(私は寝てました。。ごめんなさい。

皆もこの本作りをとても楽しんでくれて
講師の幸子さんも 楽しく過ごせたと言って下さって
素敵な人達との出会いの場が持てて良かったなぁ。。。と
しみじみ嬉しい私なのでした。。
本当にありがとうございました。
幸子さん、本当にありがとー!!
二日目、帰られる直前まで
TTちゃんと私の作業に付き合って下さったことにも感謝です。
気楽に「あそびにきてねー」なんて声をかけておいて
しっかり働かせてしまったこの事実。。。
鬼!!
なんて、思わないでね。
できれば、魔女って言ってね。

魔女っコ、ゆみちゃんでーっす。

・・・・・

ごめんなさいっ!もういいませんっ!


2004/10/10(日)
過去のメールの整理をしていたら
とても大切だった友人の最後のメールが残ってた。
彼女はもういない。
2002年の12月に亡くなってしまったから。

――自分だけのために自分だけの幸福のために何も縛られんと自由に飛べや。

そう書いてあった。。

――バイバイ

って、病気の事も知らせずに
どこかへ旅行にいくみたいな最後の言葉。

これ!と決めたら突っ走って
いつも体当たりで、
不器用で、
すごく
私と
似ていた。

今の私を見てくれているかな。
だったら、うれしいな。

秋の夜長のひとりごと。
なんちって。

がんばろっと。


2004/10/09(土)
台風上陸
午後3時過ぎから暴風雨。
仕事部屋の窓に雨が叩きつけられてる。
ここに越してきて
これで何度目の台風だろう。。
でも
北側のこの仕事部屋も寝室もサッシが入ってるおかげで
PCとベッドが水の被害から守られています。
障子と雨戸しかなかった時は、
本当に部屋の中が水浸しで、風でがたつく雨戸の音が酷かった。
大工のSさん、本当にありがとう。

にしても…
すごい風が…
おぉ!
網戸が走ってる〜!(T.T)
サッシ枠からの隙間風さえも突風だ。。
あぁ
まっくろくろすけが…
はしゃいでる。
飛んでる
おどってる〜!
やっぱり…
真打
このお家の神様にも守ってもらうしかない。
しばらく閉めてなかった雨戸を閉めよう。。
サッシの内側だけど…。

明日は本作りのミニ講座で
KS先生が来て下さるんだけど
明日まで
この家、もつかしらん…。

ぎゃあぁ

仕事部屋が揺れてるぅぅぅぅxx!!!!

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ここまでライブ実況中継でした。
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あっという間に台風通過。

サッシの内側にも関わらず、やっぱり雨戸。頼もしかった。。。
「もともとこの家を守ってたのはアタシなんだよっ!」
ってなカンジで、北雨戸の守。
ご老体の雨戸は、若造サッシに守られながらも
新建材で塞ぎきれなかった雨風をシャットダウン。
なんだかんだと新旧タッグを組んで、
お家を守ってくれました。
ありがたや。。
でも
台風通過後に、
ごくろうさま。って北雨戸を開けようとしたら
ガタピシがたガタがたついて
動いてくれないの。。
「あたしゃまだ、ここに居るんだよーーー!」
って…
閉めるときはスルスル動いたくせに。。
ったく、
かわいいんだから。

今回、現役バリバリの南雨戸の守は、し〜ん。
萱の守も 雨漏り一つさせずに し〜ん。

懐中電灯と、ろうそくと、おにぎり用意してた私。。。

神様、
笑ってる?


2004/10/08(金)
本日の夕飯は、Aさんレシピによる
「ぶたうどん」
でも、うどんがなかったので
とってもシンプルな
「ぶたすうぷ」。
お昼からとっておいた昆布出汁に、豚肉を入れて塩だけで調味。
これだけなのに・・・
いやん、美味しい!!
正しく言えば、旨い!!!です。
ほんとは、ねぎ油を作って入れるともっと美味しいそうです。
だけど、ねぎもなかったので冷凍しておいたあさつき入れました。
最初は炊きたてごはんと一緒に食べてたけど
ふと思いつき、
ごはんを洗ってスープの中へ入れ、温めなおす。
スープと一緒にサラサラごはん・・・うう...たまりまへん。。
たぶん、
レシピとは違う味になってるかもしれない…と思いつつ(^^ゞ
一度はレシピの主に本物を作ってもらわないとね。
おほ。(よろぴく♪)

素材が良いからこそ、シンプルが美味しい。
もちろんお塩も美味しいお塩(ポルトガル産)でした。
出汁に使った昆布は、おかかと胡麻を加えて佃煮に。箸休め。
贅沢な食事。
って、
こーゆーことだと思った。

ごちそうさまでした。


再来週、
九州の実家へ行きます。
その為の飛行機チケットを取るのに半日がかり。(笑)
バースデープランなら、誕生日の前後2週間
片道1万程で買えるんだけど…
今回は、バースデープランって気分じゃないよ。。
なるべく、早く済ませたい気分。
なので
仕事の段取りつけて、
いろいろ料金比較してたら、
株主運賃取り扱いの会社で格安チケットを予約できた。
片道17800円とな。(正規運賃は3万ちょっと)
一応、予約はとれたけど
ここ、振込み前にはキャンセル料は発生しないと書いてあったので
他にもっと安いチケットないかなぁ…と探し初めて
見つけちゃった。。
九州フリーツァーパッケージ
ANA往復チケット+ホテル一泊付=28,100円也!
ほんとか?
と、
つい心配になりまして
メールでの予約はしないで直接電話してみました。
要は、団体チケットのバラ売りということで納得。
電話予約のあとに
確認書とチケット引き換え書がFAXで送られてきた。
先に予約した株主運賃の方は、もちろんキャンセル。

それにしても
正規料金で買うのがばかばかしい。って、なんか変。


2004/10/07(木)
今週の豚肉が届いた。
配達に来てくれたAK君に
冷凍しておいたコロッケを渡せた。
本当は、昨日一緒に食べたかったんだけど
配達用お肉をさばくのに超多忙で来られなかったから
彼らの分は今日届けるつもりで冷凍しておいたの。
AK君のほころぶ顔は、いつ見ても気持ち良い。^^
がんばってる若者のエネルギーって、
すばらしくさわやかだと思う。

さて、今回のお肉は肩ロース。
これはシンプルにステーキかなぁ。。
ガーリックステーキとか。。
ごっくん。


2004/10/06(水)
Albumの【とんとん】で紹介している農場・こぶた畑の
2月生まれの豚くん達が、いよいよお肉に。。
予約販売で5週連続出荷となりました。
1回目は、ロース肉だったので稲刈り打ち上げの時
Aさんリクエストのゴーヤカツレツを
差し入れに作って、皆さんから好評を頂きました。

先週は2回目、ひき肉。
で、ゆみ特製・韮コロッケの会です。
こぶた畑の農場主夫婦が作った じゃがいもを
Sちゃん、Tちゃんが掘ってきてくれました。
偶然この日にいらっしゃったお客様も参加して
皆で、わいわいコロッケ作り。

そして、コロッケが出来あがるとほぼ同時に
オークション落札のソファーが到着!
写真で見るより大きい!!!
びつくり。
座ってみると、足がつかない…2人は座れそう。
このソファーと一緒に「これはプレゼントです」と
電子レンジも頂きました。
ううう。
本当に、ありがとうございました。
運んで下さったオーナーのMさんを皆さんに紹介して、
出来たてコロッケをどーぞとお味見に食べて頂くと
すっかり、こぶた畑の豚肉ファンになって下さいました。
来年の出荷予約獲得です。(笑)

皆で作った美味しいコロッケ。
おしゃべりしながら、お腹一杯!
Sちゃんのゴーヤも糠漬けで登場。
素材が良いから何を作っても美味しいね。と皆笑顔。
嬉しい一日。

おまけ。
一人用ソファーにすっぽりはまったTちゃんとSちゃん。(写真)
いいなぁ。。


2004/10/05(火)
秋雨前線停滞中
連日の雨。

息子の進路が決定したので
私物の整理がてら、息子の顔を見にあっちの家へ。
「これで家を出られるよ」とホッとした息子の顔に
私もホッと一安心。
来週もまた私は諸手続きの為に役所通い。
今は頭の中を整理しながら、するべき事をする。

帰宅すると、
私の師匠でもある兄から久々にメールがきていた。
今後の仕事の事、連絡事項、そして私への心配。。
無駄な文章を書かない師匠の 短い行間
そこに「兄」がいた。
感謝。

それから、旧友のメールニュース。(勝手に宣伝)
サイトに新コンテンツ“Rare Sound + Vision”を追加とのこと。
URL : http://www.takuji-one.com/pre_one/RareSound/index.html
ここの5曲目、私の大好きな梅津和時さんがサックス吹いてるの。
このライブの時、梅津さんと共演するというので
わざわざ千葉まで行ったのよね。。。懐かしい。
この【もうすぐ】は、旧友の曲の中で私のいちばん好きな曲です。
梅津さんのサックスが泣いてます。泣かせます。
あ、もちろん!歌もいい!(胡麻


2004/10/04(月)

オークションで買ったソファー。
明日、オーナーの方が届けて下さるそうです。

わくわく。


今日は、僅かな時間だったけど
友人・Yちゃんと久々のおしゃべり。
愉しかったよー。

たとえば、
伝わり難い言葉を
こちらが伝えたいように
相手が上手く
キャッチしてくれた時って
思わず、
目を見合わせて
笑ってしまうんだね。
・・・ってコトが
よく
わかった日、
でした。

きゃは。


2004/10/03(日)
ずっと雨。

朝からほとんど一日眠っておりました。
よく考えたら、このところの睡眠時間は
平均2〜3時間だった気がする。。
で、きょうは
なんにもしないゾ!と、
買ってきた本を読もうと思ってたんだけど
本を読もうとすると眠る。。
1時間程で起きて、また
今度こそ。
と、本を開くと
寝てる。。
この繰り返しの一日。
気がつけば外は暗くなってるし、
夕方からお風呂に入って
ご飯食べて
またお風呂に入って
お風呂で寝てた。。
あぶないあぶない。

--おまけ。
滞ってたメールのお返事、出させていただきました。
オークションで、一人用ソファー1,100円で落札できちゃった。
山口県観光キャンペーンで、
錦帯橋の古材を使った小物入れが当たっちゃった。
http://www.yamaguchikanko.net/kintaikyo/index.html


2004/10/02(土)
本日、お風呂に
念願のシャワーが付きました!

取付けてくれたのは、
ある時は、某田んぼ団文芸部長、
またある時は、某住設会社のシャッチョサン、
その名もKちゃん。
シャチョー自らの施工作業は7年ぶりなので
後日、社員様の厳しい点検があるらしい。。。
こわいわ。
爆発したりして。(嘘
.....にしても、
かなり古い蛇口で水平じゃないし、
取付けが大変だったみたいです。
感謝感謝。

――これ、引越し祝いね。
はい。
ありがたく使わせて頂きます。(素直
感謝感謝。

因みに、お湯と水の水栓色が逆になってます。
ピンクが水、
水色がお湯、
間違ったら、ヤケドします。
酔っ払ってたら間違えそうです。
とりあえず、ピンク(水)が先!!!と覚えましょ。
いいですか?美奈さん、じゃなくて皆さん。
ヤケドしないでね。
Kちゃんに会ったら、よ〜くお礼言うんですよ。(笑)


2004/10/01(金) 2
ひとりごと
離婚数日前、元夫は
私の両親への説明をすることも
互いの連名で共通の友人・知人達への手紙を書くことも
来春に決めていた離婚もしたくないと、約束の全てを反故にした。
これは、あえて報告された訳ではなく
たまたま他の用事で連絡があったついでに突然出た話だった。
彼は、ずっと考えていたことだと言った。
私には寝耳に水。
そして、
彼は自ら息子に「学費の面倒は俺がみるから進学しろ」と約束していたにも関わらず、息子の親権を私が持つのなら今後の息子の学費、養育費は私に支払い義務があると言った。
目の前でこれを聞いた息子は、
この時、はじめて
感情の全てをさらけ出して父親にぶつかった。
彼は息子までをも、裏切ろうとしたことに気づいていなかった。

私はもう彼の全てが信じられなくなり
湧き起こるのは、その情けなさに対する憤りだけだった。

息子との約束を守ってもらう為にも
私はその確約をとりたくて、調停離婚をすると言い、
彼に何の責任感も持てないのなら慰謝料を請求すると言った。
すると彼は「家裁には絶対行かない」の一点張り、
それくらいなら、今すぐ離婚すると翌日の離婚を約束した。

翌朝、彼が離婚届を白紙で持参した時
ほぼ同じタイミングで、義母からの電話があった。
義母は、これまで私に対して他の嫁よりも
どれほど大切な娘として扱ってきたかを力説した後、
離婚となればもう嫁でも娘でもないからそのつもりで、と言った。
「あなたよりも私の方がどれほど辛いかわかる?」と言われ、
私は自分が、飼い主を噛んだ犬に思われている気がしてならなかった。
そして、
義母からも、私が親権を持つなら養育義務は私にあると言われ、
私が家裁に持ちこんでも、彼からは一銭もとれないからあきらめるように説得された。
義母は、私達がこうなり始めたのを1年以上前から知りながら
別居してからも「ゆみさんのご両親には、まだ言わないで」と言い続けていた。
いま思えば、(遅すぎ・・・)
「離婚は夫婦の問題だから、親には関係無い。私には挨拶に来なくていい。もう金輪際、会うことも話すことも無い。」と言った義母が、最も介入していたことになる。

義母との電話のあと、
元夫は、離婚届を白紙のまま置いて帰ろうとした。
私は彼を引き止めその場で、記入押印してもらい、息子の希望の日に提出。


そして離婚当日の夜、元夫より
息子の誕生日だから一緒に食事しないかと電話があった。
私は息子と二人で約束していると断った。

翌々日(9/26)の夜には、元の家からの着信歴があった。
息子からかと思い、電話してみるも誰も出ない。
すると翌日の午後、元夫から
息子のGFが来ていたから、夕飯でも一緒にどうか。という誘いだったとのメールが入った。
返事をするまでもない。

9/27には、彼が壊して弁償してくれると言っていた私のデジカメ。
修理代が高すぎるから、新しいものを買った方が良いと連絡がある。
弁償してくれるのだから、彼が購入してくれれば良いと返事をすると
「金が無いから、来月お前に返す金で買ってくれ。」と・・・?
それは、私に立て替えておいてくれと言う意味なのかと尋ねると
「お前に金を返したら、金が無くなるから。自分で買ってくれ。」との事。
それは、弁償とは言わない。。

同じ事の繰り返し。
簡単に、その場の約束をする。
簡単に、出来ないからと約束を反故にする。
小さなコトから
大きなコトまで、繰り返す。

私の中に不信感しか残さなかった離婚劇、
その離婚成立の日に、
どう考えれば、私を食事に誘えるのだろう。
そしてまた二日後にも同じ誘い。
こうして、
私を傷つけていることにすら気がついていない彼が、いまだに私を傷つける。

昨日と今日、
郵便物が届いているからと電話があった。
私の家に届けるというので、それを断り「そっちのポストに入れておいて」と頼むと
昨日は、「信号の所で待ってるから取りに来てくれ。」
今日は、「ポストに入れておいた。」
と、言われた。

私は、
__今の私には彼への不信感しかなく、けして今後の良い関係を保てる離婚ではなかった事、
今後もしばらくは、様々な事務手続き上で顔を合わせることが続くが、
それ以外の用件や連絡はメールでくれれば、郵便物等は こちらから取りに行く。__
という内容で
先ほど、彼にメールを送りました。


2004/10/01(金) 1
神無月
離婚届を提出してから1週間
この間、自分でもわからない感覚のまま過ごしていました。
後悔でも虚脱感でもなく、孤独感でも感傷でもなく、
ただただ
過去の苦しかった出来事ばかりが蘇ってくるのです。
だからといって、
思い出した今、それが苦しいわけでもない。
何か考えようとしても
実際は何も考えておらず・・・。
仕事、所用、雑事はたんたんとこなせてます。
食事も普通にしております。
自分の中で、何が起きているのか
自分でも説明できない感覚に取り囲まれて
ココロだけが身動きできなくなっていたのです。
そしてまだ、それをきちんと解説できないままです。
しばらく、ここを閉じることも考えましたが、
いまの私を
リアルタイムでオープンに綴っておくことが
これからの私に
必要な気がして継続することにしました。


2004/09/28(火)
たくさんの方からメッセージを頂いています。
本当にありがとうございます。
まだ、すべての方へのお返事ができていませんが
きちんとお返事をさせていただきたいと思っていますので
もうしばらくお待ちください。

持って生まれたものを「宿命」とするならば
自分で作りゆく道を「運命」だと私は思っています。
きっとこれからも自分の納得できる道にしか進まない事でしょう。
それが運命だと信じているから。
そのための努力は惜しまずに続けたいと思っています。
いまは、今しかないこの状況、感情をじっくり味わってます。
もう少ししたら脱皮完了。

私は大丈夫。^^


2004/09/27(月)
昨日は、稲刈りの日。

曇り空の下、大勢の方達が集まっていました。
稲刈り後の打ち上げには、
またまたスタッフとして参加させて頂く。
たいして何が出来るわけでもないのに
その場を共有させてもらえることにいつも感謝してます。
いつのまにやら広報部長なんて肩書きついてるし・・・。
団長さまはじめ、団員の皆様に感謝感謝。
本当に愉しい時間をありがとうございました。


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